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夕餉

ぼんやりしながらの散歩中
何処ぞの窓から夕餉の香りが運ばれてきて、
そんな風の悪戯で俺は
ちょっとだけ幸せな気分になる。
いじましいとは言わないでおくれ~。

温かで甘い味噌煮の香りが、
誰かのために作る夕御飯の幸せと
その温かな感覚を俺に運んできたんだから。

誰かにとっては変哲もない匂いでも、
別の誰かには暖かい心情を起こすものだったり
するじゃないですか。

それがその人の幸福に直結するものじゃなくても
なんとなくどことなくなにげなく気持ちの暖かさの入口だったり
しちゃうでしょ?
そんな経験ないですか? あるでしょ?

感覚ってやつは記憶の
扉とか鍵みたいな働きをして
主の気持ちにはお構いなし。

それが本人には迷惑な記憶だったり
赤面モノの記憶だったり
涙を誘う記憶だったりもして
時と場合に拠っては
はた迷惑な困ったちゃんだったりもします、「感覚くん」は。

でも、呼び起こされる記憶の全てが
その人を作ってるんすよね。
だからこそ、その人はその人たりえる。

記憶が必要なくなってしまったら、人って御仕舞いじゃん?
感じる必要がなくなってしまったら、人じゃなくてもいいんじゃん?
命いらないですってことになっちゃわないか?

www.な空間からは
さまざまなことが取り出せちゃって。
www.な空間からは
幾億幾兆のことを知ることも可能。
でも、ディスプレイを通して美しい花を見たって
伝わるのって、生きてない視覚情報だけ。
臨場感溢れるものであったって
所詮、臨場「感」。
「感」なんだよ。
その画像を撮った人の感動やら心情やら
花の瑞々しさ
空気の香りや温度までを
自分のものにすることなんかできっこない。
生の体験に勝ることはない。

ナニ当ったり前なことほざいてんだ俺?
とも思うんだけど、

感じるってことが、命ってもんなんじゃねーかなって
体験するってことが、命ってもんなんじゃねーかなって
経験するってことが、命ってもんじゃねーかなって

感じるってことが、生きるってことなんじゃねーかなって
体験するってことが、生きるってことなんじゃねーかなって
経験するってことが、生きるってことなんじゃねーかなって、
しつこいね、俺。

でも、そう思ってしまったのよ。

リアルがどーのとかいう議論は
鼻でせせら哂ってまう人だけどな、俺。

別に文明を捨てて野に戻れよ人類、
とかって気もさらさら無ぇけど。

ま、その瞬間で
聴こえたこと見えたこと味わったこと、etc
とにかく、感覚総動員で、その場から感じるものの全てが
その人の、命の根っ子なんだなぁ。
その人の、幸せの根っ子なんだなぁ。
って感じてしまったわけです、さっき。

PCはただの箱さ~。
www,な空間は何にも与えてくれないさ~。

壊しちゃえよ、こんなもん。


壊せないけど。


   BGM:"sign of the times" by BOB JAMES

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2004年08月18日 20:49に投稿されたエントリーのページです。

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